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奥尻島の最南端の青苗岬をめぐる
夏の奥尻島遠征2019・第5回


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「2回の津波に耐えたモニュメント」


「奥尻島」の最南端の「青苗岬」(あおなえみさき)まで来たところ、雨が急に降ってきました。
当初は岬の周りを歩くつもりでしたが、雨宿りも兼ねて「奥尻島津波館」へ入ります。
ここは1993年(平成5年)7月12日に発生した「北海道南西沖地震」に関する様々な資料が展示されています。

そして見学を終え、「津波館」を出ると雨は上がっていました。
このままやまなかったらどうしよう?と思っていたので、ありがたかったです。
傘を差して歩きまわるのはちょっと大変ですから。


表紙の写真は、「津波館」の南側から見た「青苗岬」の様子です。
岬の先端には高い塔が経っていました。
震災からみのものかと思ったのですが、これは「徳洋記念碑」(とくようきねんひ)というもの。
1931年(昭和6年)に建てられた古い塔です。
1983年(昭和58年)の「日本海中部地震」、1993年の「北海道南西沖地震」でそれぞれ発生した津波を受けましたが
そのどちらにも耐えたとのことです。
そういう意味では、復興のシンボルの1つとも言えるかもしれません。

「奥尻町指定文化財 徳洋記念碑
 この徳洋記念碑は、明治13年(1880)に青苗岬で英国軍艦が座礁した際、乗艦していた
 有栖川宮威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう)の遺徳と国境を越えた救助活動の美徳を讃えるものです。
 座礁したアイアン・デューク(HMS Iron Duke 1870)は明治3年(1870)にイギリスの海軍工廠で建造された軍艦です。
 英国東洋艦隊の旗艦となり、明治12年に明治天皇の命によって威仁親王が海軍少尉補として乗船し、
 訓練のため遠洋航海の途中、青苗沖に座礁しました。親王は島に上陸し、島民や他国の軍艦とともに
 救助活動にあたりました。
 青苗在住の三国十次郎は、この事績を後世に伝えようと精力的に情報収集に努め、
 昭和6年(1931)、徳洋記念碑が完成しました。全長約17m、鉄筋RC造。
 昭和58年(1983)の日本海中部地震津波と、平成5年(1993)の北海道南西沖地震津波に耐えた近代建造物であり、
 奥尻の歴史を見守ってきた貴重な記念碑であるとして、町指定有形文化財となりました。
    平成26年10月1日指定  奥尻町教育委員会」

※説明板より引用、以下同じ










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「記念碑」の前に立ちます。
灯台のようなシルエットですが、点灯しません(^^;


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説明板にあった写真。
左が建設中の様子、右上が1966年当時の空撮、右下が1993年の震災直後の様子となっています。
震災後に岬に立っていた記念碑は、島民の心の支えになったのかもしれませんね。


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防波堤の上にたたずんでいる「ウミネコ」がいました。
黄色い虹彩とくちばしにある赤い点が特徴的なので、比較的わかりやすいです。
アップにしたかったのですが、手持ちの120mmではこれがいいところ。
じりじりと距離を詰めていってますが、これが限界かな?と。
もう少し近づいていたら飛び去っていたでしょうからね。


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こちらは「シギ」の仲間かな?
駐車場の端のところをちょこちょこと歩いていました。
これも120mmでとっています。
右から2羽目が親鳥で、ほかの3羽は幼鳥かな?


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しばらく見ていると、その先にある背の低い草が生えている場所に入りました。
すると、とたんに姿が見えにくくなります。
褐色系の色ですが、草の色によくなじんで目立たなくなるものですね。


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駐車場の向こうには防波堤が見えます。
手前が従来の高さで、「消波ブロック」の奥に見えるのが新たに造られたものかと。
比較対象がないのでその高さの違いはわかりにくいですけどね。


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岬の北側に広がる住宅地は、高台に建てられています。
右側の低地と比べても1階半~2階分くらい高くなっているのがわかりますね。


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「津波館」の北側の小高い丘の上には「時空翔」(じくうしょう)というモニュメントがあります。
1993年の地震で被災した方々の慰霊のために造られました。

「時空翔
 1993年7月12日午後10時17分、奥尻町が遭遇した北海道南西沖地震は
 マグニチュード7.8という日本海では観測史上最大級であり、わが町は地震・津波・火災により、
 198名(うち行方不明者26名)の尊い命が犠牲となった。
 この慰霊碑「時空翔」は天へ逝った方々の霊を慰め、島の美しい自然と時間、空間の天空から
 島の安泰と自然災害の恐ろしさを異なる次元から残された人々に大切なメッセージとして
 永く後世に受け継がれることを信じている。」



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高台に上がり、「時空翔」を正面から眺めます。
中央にあるくぼみは、地震が発生した7月12日の日没の方向を向いています。

「忘れない7月12日の記憶
 その日沈む夕日は震源地の南西沖を向く慰霊碑時空翔の中央に落ち、
 犠牲者の鎮魂と津波の教訓を後世に伝えている」



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「時空翔」の右側には「明仁天皇」「御製」(ぎょせい)の碑があります。
これは震災の翌年、1994年(平成6年)の新年にお詠みになられたものとのこと。

「建立の由来
 平成5年7月12日 午後10時17分発生の北海道南西沖地震災害により奥尻町では壊滅的大災害を受け
 多くの被災者が呆然自失の状態で避難所生活をする折 平成5年7月27日 天皇皇后両陛下が被害にあった島民を慰め
 励まされるため奥尻島を訪れ 復興に向け頑張る意欲を与えて下さいました
 その後 平成6年の新年において奥尻島というお題のもとにお見舞に訪れられた際のお心を
 お詠みになられました御製を末長く後世に残すため 御製碑をこの慰霊碑広場に建立いたしました
   平成10年7月   揮毫者 小山青峯   建立者 奥尻町」



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「時空翔」の横から「青苗岬灯台」を眺めます。
震災で倒壊はしたものの、この地区でもっとも高い位置にあったため津波の被害は免れています。
すぐとなりには何かの電波塔が立っていますが、白と赤のコントラストが鮮やかでよく目立ちますね。



すべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、奥尻港へと向かいます。

by sampo_katze | 2020-11-08 21:00 | 北海道 | Comments(0)


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