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天都山の展望テラスと博物館網走監獄
冬の網走訪問2019編・第5回


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「一年中流氷を体験できる!」


「天都山」(てんとざん)にある観光施設めぐりの続きです。
最初は施設めぐりのバスの終点にある「北方民族博物館」を訪問。
中味の濃い展示になっていて、サクッと見て終わりかと思いきやハマって少々長居をしました。

続いては「天都山」の頂上にある「オホーツク流氷館」へ。
バスの本数が少なく、次のバスまで30分ほどの待ち時間があります。
そのため歩いていくことにしましたが、幸い10分ほどのところなのでよかった。
もっとも道中は結構な上り坂なのでちょっと大変でしたが(^^;

そして到着後、次のバスが出るまでは20分ほど。
ですので「流氷館」の見学はあきらめ、「展望テラス」のみ見ていくことにしました。
次の「博物館網走監獄」までは2.5km、歩いて30分ほどかかるので。
ここからは下り坂とはいえ、さすがに移動が長くなりますからね。


表紙の写真は、「流氷館」の外観です。
地上3階、地下1階の構造で、地下1階に目玉の「流氷」を体験できるエリアがあります。
実は12月なので本物が見られるかと思ったんですが、まだ早かったんですね。
なので、せめてここで見られたらよかったんですが。










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入口では大きな「ニポポ」が出迎えてくれます。
高さは3mくらいありそうですね。


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3階の「展望テラス」へと上がります。
「天都山」の標高は207mでそれほど高くありませんが、360°のパノラマが楽しめます。
これは東の「知床半島」方面の眺め。
右は「斜里岳」(しゃりだけ)かな?


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西側にある「網走湖」もきれいに見えます。
湖面に白い線が入っているのが見えますが、これは凍結しているようです。
さすが極寒の地ですね。

こうして展望を楽しんだら時間切れ。
1階へと下りてバス停へと向かいます。
ここから4分ほどの乗車で「博物館網走監獄」に到着します。


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「博物館網走監獄」の入口。
バスはこの門をくぐった先に停車します。
来たときはそのまま先へと進んでしまったので、この写真は帰りに撮ったものです(^^;

「財団設立の趣旨
 明治23年網走村に網走監獄が設置されました。その10年後の明治33年に網走区裁判所が設置されました。
 地方の村に行刑施設と司法施設がそれぞれの役割を担い歴史を刻んでまいりました。法のもとで裁かれ、
 行刑施設で罪を償う、網走の街は罪を憎み正義と向き合ってきた街です。これらの旧構築物を移築復原し、
 北海道開拓の礎として北海道集治監の果たした功績を行刑資料とともに顕彰し、保存公開を通じて
 北海道の教育文化の発展に寄与することを目的に運営しています。」

※説明板より引用、以下同じ


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「網走監獄」への入口に架かるのは「鏡橋」
「網走川」に架かっていた橋で、当初名前はなかったようですがいつしか「鏡橋」と呼ばれるようになったとのこと。
ここを渡った先に「入館受付」の窓口があります。
なおこの写真は、受付側から撮ったものです。

「鏡橋
 網走刑務所の囚人は皆、収容される時も出所の時も、刑務所の外塀に沿って流れる網走川に架かる橋を、
 必ず渡らなければなりません。「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢をぬぐいおとす目的で岸に渡るように」と、
 誰とはなしに鏡橋と呼ばれるようになりました。
 網走刑務所鏡橋は現在までに、4回に亘り架け替が行われておりますが、この鏡橋は、京都五条の大橋に付けられている
 擬宝珠(ぎぼし)を模倣し作られた網走刑務所二代目鏡橋の面影を残し、再現しています。」



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橋の上からのぞきこむと、川面が凍っていました。
相当厚い氷になっているようですね。


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最初の建物は「網走監獄」の正門。
1924年(大正13年)に完成した3代目で、煉瓦でできています。
初代と2代目は木造だったんですね。

「煉瓦門
 明治23年、網走外役所(がいえきしょ)創設当時と、明治42年の火災焼失後復旧した正門と外塀は木造でした。
 これを永久的な物にするため明治45年に用地内粘土で煉瓦の製造をはじめ、大正8年から5年かけて築造しました。
 これが今も網走刑務所の象徴となっている『赤門と呼ばれている』正門です。
 高さ4.5m・全長1,086m、使用した煉瓦は150万枚で、基礎石や塀の上の笠石(かさいし)も用地内から採掘した
 軟石(なんせき)を用いています。
 この意匠は、日本近代建築初期のものとして重要視されています。」



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門の横には「看守」が立っています。
遠目には本物の人がいるものと見えたんですが、さすがにちがいましたね(笑)


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門の内側の左右には、それぞれ小部屋が1つずつ設置されています。
入口から見て右側が「看守控え室」、左側が「面会人待合室」になっています。

「看守控え室
 この部屋は、正門担当看守の控え室です。
 正門をくぐり抜けると、行刑区域に入りますので、不審な人を入れないように、看守が門前に立って勤務しています。
 しかし、悪天候の日や記録簿に記入する時などは、この部屋で執務しました。」


「面会人待合室
 正門内には、受刑者に面会に来た者のための待合室が設けられていた。
 正門担当看守に、面会の申し込みをし許可を待ち、看守に先導され所内に入り、面会を行った。
 面会については、厳しい規則があり、認められないこともあった。」



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「正門」の先にあるのが管理棟として使われていた「庁舎」
初代の建物は「正門」同様、1909年(明治42年)の火災で焼失。
1912年(同45年)に再建された2代目です。
1988年(昭和63年)にこちらに移築されたとのことなので、70年以上使われていたんですね。

「庁舎
 本建築にみる紋章入りの破風をのせた正面車寄せ、押し上げ式の窓、木造下見張りは、
 明治10年前後、学校や官公庁の建築にみられた様式で、和洋折衷の「擬洋風建築」といわれています。
 この旧網走監獄庁舎は明治42年の火災焼失後、同45年に再建されたもので、
 網走監獄の管理棟として使用されていました。
 昭和63年10月、博物館網走監獄に移設保存されました。」



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「庁舎」の中は資料館になっていました。
建物の構造についての説明などをみることができます。
こちらは監獄内で自家生産をしていたという「レンガ」
真ん中に刻印がされていて、製造された場所を表すものなのかも?
城の石垣にあったものと同じなのかと。

「網走監獄で自家生産していたレンガ
 日本の監獄では、明治時代、西欧にならい近代的な獄舎を建築するために、刑務作業として囚徒による
 煉瓦製造を積極的に行いました。
 明治27(1894)年につくられた煉瓦工場で焼かれたレンガは、領置庫(りょうちこ)と二見ヶ岡(ふたみがおか)農場廊下に
 使われました。明治時代の後半には煉瓦職人の囚人を収容し、明治45(1912)年に煉瓦工場を新設。
 正門・裏門、煉瓦サイロは、監獄で焼かれたレンガで建造されました。」



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「正門」と同じくレンガで造られた「裏門」
自家生産のレンガで初めて着工された門です。
「正門」と比べると、かなりシンプルな構造になっています。

「網走刑務所裏門
 この門は網走刑務所赤煉瓦門製作開始の大正8年に一番最初に着工した門です。
 その後5年かけて受刑者がこつこつ煉瓦を積み上げ大正13年に延長1,080mの赤煉瓦塀を完成させました。
 以来平成5年の9月まで70年間にわたり網走刑務所裏門として受刑者が塀の外の作業場(農場・養豚場等)に
 出かける時に通るのがこの門であり、いかつい正門とは違い、この門をくぐり抜けると外に出られるという、
 受刑者にとっては解放感を味わえる門だったことでしょう。老朽化のため門を立て直す際に、
 博物館網走監獄が譲り受け復原致しました。」



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最後は「水門」です。
水の流れを調整するものではなく、物資の出入口に使われていたもの。
「網走川」での水運を活用していたようです。

「網走刑務所水門(再現構築物)
 網走刑務所の前方は網走川が流れています。この川を利用して、網走刑務所では生活物資を運び入れたり、
 農場へ肥料を運ぶ等、貴重な水路として活用していました。その出入り口として、大正13年に水門を
 受刑者の手により完成させました。
 煉瓦の正門着工時に造りあげた水門は、その後、昭和31年まで活発に利用されていましたが、
 記念橋を撤去した際に封鎖されました。」




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次回は、網走監獄の展示を見ていきます。

by sampo_katze | 2021-01-10 21:15 | 北海道 | Comments(0)


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