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博物館網走監獄・裁判所と明治時代の動く監獄
冬の網走訪問2019編・第6回


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「復原された地方裁判所」


「博物館網走監獄」「天都山」の中腹にある野外博物館です。
1983年(昭和58年)、「網走刑務所」の全面改装が行われました。
その際、解体されるはずの建物を移築、復元して開館しています。

館内には「網走刑務所」のほか、「裁判所」の建物も移築されています。
「裁判所」に関する様々な資料のほか、「法廷」内部を再現したエリアもありました。
今回はまず「裁判所」から見ていくことにします。


表紙の写真は、「旧釧路地方裁判所網走支部法廷復原楝」の外観です。
1918年(大正7年)、「網走支部」が置かれました。
時期は不明ですが新庁舎に建て替えられることになり、旧庁舎の建物を移築復元されたものです。

「旧釧路地方裁判所網走支部法廷復原楝
 この建物は、釧路地方裁判所網走支部が新庁舎建設のため旧庁舎の取り壊しに際して、
 単独法廷合議室(ごうぎしつ)、合議法廷、仮監置室(かりかんちしつ)および勾留質問室の部分を譲り受け、
 復原、保存したものです。各部屋やホールの配置、広さ、高さが元通りであるのは当然のこと、
 法廷内部の備品(机、椅子、照明器具、カーテンなど) についても、実際に使用されていたものを展示しています。
 これらの各部屋は、昭和27年から平成3年にかけて39年間用いられ、有名な「梅田事件」をはじめ、
 この地域で発生した様々な事件がここで裁かれました。その結果、実刑判決を受けた被告人の多くは
 網走刑務所で服役したのです。」

※説明板より引用、以下同じ










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「法廷」で裁判を行う人びとがまとう服のことを「法服」といいます。
服のフォーマットは1890年(明治23年)に初めて制定されました。

「法廷の人々
 裁判所では、法廷内の秩序について厳しく、裁判官の権限は絶大なものです。
 裁判官のイメージである法服は、昭和25年に形が制定されました。
 ほかの色に染まらない「黒」が裁判の公正を表しています。
 旧憲法制度時代は、法廷内で仕事をするものは、法服を身につける決まりがありました。
 明治23年、勅令により初めて判事、検事、裁判所書記の制服が定められ、
 明治26年、司法省令により弁護士の職服が定められました。
 職務別に上衣の唐草模様と色が決められました。
 弁護士・・・白  裁判所書記・・・深緑  検事・・・深緋(赤)  判事・・・深紫」



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1890年(明治23年)に初めて定められた「裁判官」の「法服」。
デザインは共通で、職務別に首から胸にかけての「唐草模様」の色が異なります。

「明治23年当時の裁判官法服
 明治23年に初めて裁判官、検事、裁判官書記等の制服が定められ、
 裁判官の上衣の唐草模様の色は、深紫であった。」



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こちらは現在の「裁判官法服」。
1950年(昭和25年)に制定されて以来、デザインが変わっていないんですね。

「現在の裁判官法服
 昭和24年に裁判官の制服に関する規則が定められ、
 生地は黒色羽二重と決められた。」



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「法廷」を再現した部屋。
「簡易裁判所」にあった「裁判官」1人で審理を行う「単独法廷」です。
この場面は「被告人」の本人確認を行う「人定質問」(じんていしつもん)を再現したもの。
「傍聴人席」から見るとこんな感じになるんでしょうね。

「単独法廷
 この法廷は、釧路地方裁判所網走支部・簡易裁判所です。
 平成3年まで使用されていたうちのひとつで、単独法廷と呼ばれるものです。
 刑事裁判では、いわゆる重罪(死刑または無期。短期1年以上の懲役、若しくは禁錮に当たる罪、殺人、放火など)
 については、原則として合議法廷(裁判官3人で構成)で審理されます。
 そのほかの罪については単独法廷(1人の裁判官)で審理します。
 特に簡易裁判所での審理は常に単独で行われることから、犯罪発生率の高い窃盗事件などの処理のため、
 この法廷は使用回数も多く、実際上重要な役割を果たしたといえます。
 現在法廷では被告人に対する人定質問がなされている場面が再現されています。」



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こちらは3人の「裁判官」で審理を行う「合議法廷」
「単独法廷」と比べて広い部屋になっています。
いちばん奥の中央に座っているのが「裁判長」、その両側が「陪席裁判官」(ばいせきさいばんかん)です。

「第一号法廷<合議法廷>
 ここは、合議法廷です。重罪事件は、この法廷で3人の裁判官によって審理されます。
 傍聴席から見て、正面が裁判官席です。(中央に訴訟を指揮する裁判長。その両隣に陪席裁判官が着席しています。)
 その手前に書記官と速記官が着席し、裁判の経過を記録するほか、裁判の補助をします。
 左奥には、廷吏(ていり)が着席しています。(法廷内の秩序維持を担当)
 証言台をはさんで左側が検察官席、右側が弁護人席です。通常はいずれも一人ずつですが、事件の内容によっては
 複数の検察官が、また被告人の希望等によっては複数の弁護人が、それぞれ出廷することもあります。
 証言台の手前が被告人席で、拘置所から護送してきた刑務官が同席しています。
 今、法廷では検察官が証人尋問を行っているところです。」



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「裁判所」を後にして、次の施設へ。
木造の三角形をした建物は「休泊所」です。
呼び名は他にもいろいろあったようですが、要するに持ち運びができる「監獄」です。
囚人たちは開拓の労働力とされていましたが、その数が増えすぎて収容できなくなったため
このような簡易的な「動く監獄」がつくられたんですね。

「動く監獄
 明治十年西南の役後、全国の罪囚は約八万人をこえ、そのうち本道集治監には約八千人が収容された
 だが樺戸・空知・釧路を合わせても約四千人しか収容できず、残りは動く監獄といわれた
 「外役所・休泊所・宿泊所・泊込所」に収容し道をつけ橋をかけ開墾にあてられた。」


「休泊所
 明治24年(1891年)の中央道路開削工事をはじめ、外役作業の時に囚人たちは、簡単に建設解体ができる
 小屋で寝泊まりをしました。これを休泊所仮監といいました。柏布団1枚で1本の丸太を枕にしているのは、
 朝起床時間になると丸太の端をたたいて起こしたためです。睡眠時間が4~5時間で睡眠不足の囚人たちを起こす
 最良の方法だったといわれています。このような労働形態が後のタコ部屋労働につながっていったのです。」



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「動く監獄」の内部はこんな感じ。
中央に通路があり、左右に囚人たちの寝床が並びます。
片側に8人ずつ寝られるようになっていました。


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枕は丸太を半分にしてできたものでした。
当初は1人につき1個ずつの個別のものでしたが、のちに1本の丸太でできたものに代わっていきました。

「罪囚のまくら
 明治五年監獄則で罪囚のまくらは丸太を半分にした「半円木」を定められたが
 外役所や休泊所では手間を省いて一本の丸太のまま使われたこともあったといわれている。
 この方法はのちの「たこ部屋」にも使われて朝になると丸太の一端をたたいて一斉に起したといわれている。」



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これが1本の丸太で作られたまくら。
個別に作るよりも手間がかからないことから、こちらが採用されたと思われ。
持ち運びには向いていませんが、おそらく移動時には新しいものに交換していたんでしょう。
朝の起床時にこの一端を叩くことで、囚人たちを一斉に起こすことができるのもメリットだったよう。
これが「たたき起こす」という言葉の由来になったとも言われていますね。


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こちらは「旧網走刑務所職員官舎」です。
1軒の広さは9坪、1LDKとかなり小さなものになっています。

「旧網走刑務所職員官舎(再現構築物)
 この建物は、通称「看守長屋」と呼ばれた網走刑務所の職員官舎を再現したものです。明治45年に建てられ、
 網走刑務所の近代化工事の始まった昭和50年代まで網走川の両河畔に176戸立ち並んでいました。
 1軒の広さは9坪と狭く、間取りは現在でいう1LDKです。拝命されたばかりの看守が与えられていた
 最も狭い間取りの官舎で家族が生活していましたので、最小限の生活用品と機能的な生活の様子がうかがえます。
 官舎では網走刑務所での勤務を終えて帰ってきた看守の父と夕食の準備をしている母の側で、
 子供達が夕食を楽しみにしている場面が再現されています。」



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官舎の中はこんな感じ。
夕食前のひとときが再現されていました。



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次回は、監獄歴史館で収監体験?です。

by sampo_katze | 2021-01-12 21:00 | 北海道 | Comments(0)


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