高松空港~岡山空港周遊2020編・その5
![]() 2日目の2月2日(日)。 この日は「高松駅」昼前出発の「マリンライナー」に乗り、「瀬戸大橋線」経由で「岡山駅」へと移動。 そこから「リムジンバス」に乗り換えて「岡山空港」に向かい、そこから「羽田空港」へと戻ります。 午前中は時間があるので、まずは朝ごはんに「うどん」を2軒はしごしました。 どちらも小をオーターしたのですが、これでお腹がパンパンに。 意外とお腹にたまるんですね~(汗) まぁ普段、ほとんど「うどん」を食べないというのもあるのかな? 最初は3軒目もあるかな?なんて思っていたんですけど、甘かったですね(^^; さて、そんな状況なのでお腹ごなしに歩くことにしました。 ただあまり時間はないので、「高松駅」近くの「高松城」へ。 「版籍奉還」時に廃城となっていて、1955年(昭和30年)5月5日に「高松市立玉藻公園」として開園しています。 表紙の写真は、海に面した道路側から見た「北の丸」の建物群です。 左から「月見櫓」、「水手御門」、「渡櫓」と連なっています。 このエリアにはかつては海に面していて、城主は「水手御門」から小舟に乗り沖合の大船に向かったとされています。 また「月見櫓」は、大船へと向かう城主を見送る場所。 小舟が着くのを見届ける場所であることから「着き見櫓」、転じて「月見櫓」となったそうです。 確かにその名の通り「月見」をするのであれば、「北の丸」より南側のほうがよさそうですからね。 「重要文化財 高松城北之丸月見櫓(続櫓)、水手御門、渡櫓 昭和25年(1950年)8月29日重要文化財指定 高松城(玉藻城ともいう)を築城した生駒氏の治世は4代54年間続きましたが、 寛永17年(1640年)に出羽の国の矢島1万石(秋田県由利本荘市矢島町)に移封されました。 その後、寛永19年(1642年)松平頼重公(まつだいらよりしげ 水戸黄門の兄)が 東讃岐12万石の領主に封ぜられてこの城に入って以来、明治2年(1869年)まで11代228年間、 松平氏の居城であり、日本三大水城(みずしろ)の一つに数えられています。 月見櫓は、松平氏入封以後新たに海面を埋立てて作られた郭(くるわ)の隅櫓として延宝4年(1676年) 2代頼常公(よりつね)の時代に完成されたものです。ことに渡櫓は生駒氏築城による海手門を改修して建てられました。 かつて、これらの櫓の外まで海であって、船からこの水手御門を経て、直ちに城内へ入れるようになっていたところからみて、 この櫓は海手出入りの監視防備のための隅櫓であったものとおもわれます。 月見櫓の特色としては、内部に初層から三層の屋根裏まで通じる4主柱が中央に通っていて、 それに梁をかけて組み立てていることや外壁に装飾的な黒い長押(なげし)を廻していること、 軒は垂木形を塗り出さず一連の大壁としていること、月見櫓より渡櫓に至る一連の建築構造美などが挙げられます。 これらの諸建物は松平家から松平公益会に移管され、さらに昭和29年(1954年)1月に高松市が譲り受け、 翌年3月から国庫・県費補助を得て解体復元工事に着手し、約1700万円を費やして同32年(1957年)3月に竣工しました。」 「水手御門(重要文化財) 江戸時代、この石垣の北側まで海でした。 藩主は、水手御門から小舟で出て、沖に停泊する御座船「飛龍丸」に乗船し 遊覧を楽しんだり参勤交代に出かけたりしたようです。 水手御門は直接海に向かって開く海城独特の門で全国唯一の現存例です。」 ※説明板より引用、以下同じ 「史跡 高松城跡 高松城は天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正(いこまちかまさ)によって、 翌16年(1588)に築城が開始されました。その縄張り(設計)は藤堂高虎(とうどうたかとら)、 黒田義孝(くろだよしたか)、細川忠興(ほそかわただおき)など諸説があります。生駒氏は4代54年続きますが、 寛永17年(1640)に出羽国矢島(でわのくにやしま 今の秋田県由利本荘市)1万石に移されます。 その後、寛永19年(1642)に松平頼重(水戸光圀の兄)に東讃12万石が与えられ、高松城に入りました。 以後、明治2年(1869)の版籍奉還までの11代228年の間、松平氏の居城として威容を誇ってきました。 頼重は、寛永21年(1644)に高松城の改修を開始し、寛文10年(1670)に天守改築、寛文11年(1671)からは 東ノ丸・北ノ丸の新造を行い、2代頼常が完成させました。これに伴い、大手を南から南東へ移し、 藩主の住居と政庁を一体化した御殿を三ノ丸に作ることも行われました。 江戸時代には、内堀、中堀、外堀の三重の堀を有し、約66万㎡(約20万坪)という広さでした。 明治初期に外堀が埋め立てられ、さらに徐々に中堀の一部が埋立てられ市街化が進み、現在約8万㎡のみが城跡として残っています。 昭和29年(1954)に高松市の所有となり、昭和30年(1955)に国の史跡に指定されています。 贈・・・公益財団法人松平公益会」 ![]() 園内にはあちらこちらに「ゴミ箱」が置かれていました。 と思いきや、上にはなにか看板がついています。 おまけに中に入っているのは「まつぼっくり」? 実はこれは「ゴミ箱」ではなく、「まつぼっくり」を集めるための箱だったんですね。 この存在理由は後でわかります。 「まつぼっくり 収集ぼっくす みんなで集めた「まつぼっくり」がツリーになって冬の高松城を彩ります。 毎年、少しづつ大きく、夢は天守閣と同じ高さまで。(約26.6メートル)」 ![]() 140mほど進むと、堀にかかる「鞘橋」(さやばし)にさしかかります。 ここは「二の丸」から「本丸」へと通じる橋。 そこから西側を見ると「高松琴平電気鉄道」、通称「琴電」(ことでん)の「高松築港駅」(たかまつちっこうえき)が見えます。 ちょうど列車が到着しましたが、残念ながらこちらからではホーム越しでしか見えません。 「鞘橋 鞘橋は、二ノ丸から本丸へ続く唯一の動線であり、この橋を落とすことによって本丸だけを守ることも できるようになっていました。絵図等によると高松城築城当時から同位置に橋が架けられていたことがわかります。 当初は「らんかん橋」と呼ばれ、1640年代半ばの絵図でも欄干が描かれており、屋根のない橋でした。 その後、文政6年(1823)の絵図では屋根付の橋として描かれており、江戸時代に改修が行われていたことがうかがえます。 現在の鞘橋については明治17年(1884)の天守解体時に架け替えられたものと伝わっており、大正期には橋脚が 木製から石製に替えられたことが古写真から判明しています。 昭和46年(1971)には老朽化による解体修理がなされ、平成18年から開始した天守台石垣の修理工事に伴って 本丸側の一部が解体され、平成23年に修理されました。橋の架かっていた石垣が修理されたことに伴って、 解体前よりもやや全長が長くなっています。 贈・・・公益財団法人松平公益会」 ![]() 階段わきには手すりのようなものも見えますね。 ![]() ここは「天守台」の跡。 2007年(平成19年)から2012年(同24年)にかけ、解体・補強工事を行っていました。 翌2013年(同25年)3月から一般公開を再開、手すりなどはその際に設けられたものですね。 傾斜が急な上に段差も大きいので、手すりがないとかなりコワいです(^^; 「天守台石垣の修理工事 天守台石垣は築城後420年が経過しており、石材の割れや抜け、はらみ出しといった傷みが著しく、 崩落の危険性が高いと判断されたため、平成17年度より石垣の修理工事を開始しました。 この工事は、天守台石垣をほぼすべて解体し、再度積み上げるという全国的に見ても例の少ない大掛かりなものです。 石垣を本来の形状に修理するだけでなく、石垣が傷んだ原因を解明し、修理方法の選択に活かすため様々な調査研究を 行いました。石垣は文化財として重要な価値を持つものであり、修理に当たっては適切な記録を行いながら、 伝統的な工法で本来の形状に戻すことが求められます。一方で破損の原因を解消するため、最小限の現代的な 工法も取り入れています。こうした種々の検討を行いながら、一連の工事は平成24年度に完了しました。 貴重な文化財を後世に伝えるため、今後も継続的な調査・整備に取り組んで参ります。 高松市・高松市教育委員会」 ![]() ここは「天守」の地下1階だったところ。 平成の修理の際に発掘調査を行ったところ、地下1階の基礎構造が発見されました。 左に階段があることからわかるように、ここに下りることもできます。 「高松城天守 地下1階の発見 高松城の天守台には、かつて3重5階(3重4階+地下1階)建ての天守が建っていました。右の写真に写っているのは 松平頼重が生駒期の天守を改築し、寛文10(1670)年に完成した天守です。この天守も老朽化により明治17(1884)年に 取り壊され、その跡に初代藩主頼重を祀る玉藻廟(たまもびょう)が建築されていました。 石垣修理工事に伴い、天守台の発掘調査を実施しました。調査の結果、天守が建てられていた当時の地下1階の 基礎構造がほぼ明らかになるという大きな成果がをあげました。 天守の地下1階は東西13.6m、南北12.2mの空間の中に、「田」の字状に52個の礎石が並べられ、さらに礎石で区切られた 4箇所の区画中央にはそれぞれ掘立柱が建てられていました。礎石には土台の痕跡が残っており、そこから地下1階が 当時の寸法で東西六間、南北五間であることが判明しました。この寸法は『小神野筆帖』(おがのひっちょう)という 文献に記された内容と合致しており、文献の記載が正確であることが判明しました。 発掘調査成果とあわせて、城内に現存する櫓との比較や、古写真・絵図・文献資料などから、天守の構造について 復元案を作成しています。ただし、発掘調査でも分からなかった、内部の階段位置や各階の内装についての情報は いまだ得られておらず、今後の新資料の発見と調査の進展が待たれるところです。」 ![]() 西から北に向けてパノラマ撮影をしてみるとこんな感じ。 右は海に向かってまっすぐ堀が伸び、左手前には先ほど渡った「鞘橋」があります。 その奥の白い建物は「JRホテルクレメント高松」、その左は四国一高い「高松シンボルタワー」です。 ![]() すると「松ぼっくりツリー2019」なる看板がありました。 2009年から始まったこの試み。 当初は3mとこじんまりとしたものでしたが、年々巨大化して2012年にはついに分身が登場。 2014年には待望の?10mを超え、2017年にはついに21.2mと20m超えを達成しました。 そしてこの年、2019年は目標の「天守」の高さ約26.6mまであと1mまでのところまで来ました。 その、あと1mがきびしいんですね~(^^; 「高さ合計(25.6m) 6+4.5+4.0+3.5+2.5+2.4+1.5+1.2 園内の松ぼっくり 約29000個使用」 ![]() 小さい1.2mから最大6.0mまで、8基のタワーが並びます。 最初は1基で26.6mまで行くのかと思ったら、総計の高さだったんですね。 さすがに1基だけで建てるとなるとバランスも大変ですし、何より数が相当数になりますから。 ![]() そこにいるのは「コイ」というのが定番ですね。 でもここにいたのは体色こそ「コイ」のようですが、明らかに違うシルエット。 口先から頭にかけての傾斜は急で、体高はかなり高いです。 これってまさか?と思いきや、なんと「クロダイ」! そう、ここのお堀には海水が引き込まれているんですね。 ほかに「マダイ」や「フグ」が泳いでいることもあるんだとか。 この日は時期によるのか、この子1匹だけだったのがちょっと残念でしたけどね。 ![]() 建造当時の様子が復元されているので、中の階段はとても急! 上がるのはいいですが、下りるのはかなり大変です(^^; 下りるときは前向きだと目線が高くなるぶんコワいので、後ろ向きで下りることをおススメします。 はしごを上り下りする感覚ですね。 ![]() かつては眼下にまで海があったのですが、現在は埋め立てられて遊歩道と国道になっています。 ![]() 海岸線までは約60mほどあります。 左手前にあるのは「報時鐘」(ほうじしょう)。 かつて城下に人々に時を報せるために造られた「鐘楼」(しょうろう)です。 何度かの移転を経て1980年(昭和55年)に公園の敷地の外、海を臨む現在の場所に移っています。 奥に見える島は「高松港」から約4kmほど沖合に浮かぶ「女木島」(めぎじま)。 昔話の「桃太郎」に出てくる「鬼ヶ島」のモデルになったとされる島です。 「高松港」から「フェリー」が出ていて、所要時間は約20分とのこと。 さらにそこから北北東には「男木島」(おぎじま)があります。 「女木島」の右手にうっすらを見えていますね。 「報時鐘 この鐘は松平家初代藩主頼重公が叡王2年(1653年)城下の人々に時を知らせるため 大判30枚を加えて 大阪で鋳させたもので 最初外堀の西南稲田外江の邸(現在西内町四鉄病院)に近い外堀土手に鐘楼を設けた。 その後一番丁(現在錦町1丁目)に移され 明治33年(1900年)に四番丁小学校校庭に再建され 昭和3年1月市庁舎のサイレン設置まで当市の名物として市民に懐かしい響きを伝えていた。 昭和8年6月 四番丁小学校講室改築に伴い松平家に返納され 玉藻公園内に置かれていた。 当市は明治23年2月15日に姿勢を施行し昭和55年市制施行90周年を迎えこれを記念してここに建立したものです。 昭和58円2月竣工 高松市」 ![]() 途中、堀越しに「天守台」の石垣を眺められるところがありました。 かつてはこの上に「天守」が建っていたわけですが、この石垣だけでも立派なものです。 ちなみにここと「愛媛県今治市」(いまばりし)の「今治城」、「大分県中津市」(なかつし)の「中津城」は 「日本三大水城」に数えられています。 ![]() 本来はこちらから入るべきだったんでしょうけどね。 そんなことはつゆ知らず、駅に近いほうから入ってしまいました(^^; 7枚目 iPhone5S ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR 次回は、瀬戸大橋線に乗って岡山駅へと向かいます。
by sampo_katze
| 2021-06-19 21:00
| 四国
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