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小松島にある金長タヌキ像をたずねる
1コマ写真@徳島出張2021お盆・その2


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「圧倒的な存在感でせまる!」


8月15日(日)。
この日も作業があるのかな?と思っていました。
ですが順調に作業が進んでいるのか、前日土曜の午後にメイン担当者に聞いたら「休みましょう」と。
というか、最初から休みのつもりで来ていたようで(^^;
もちろんこちらとしてもありがたい!

とはいえ、急に休みになったのでどうしたものかな?と。
宿に戻って地図を眺めて考えます。
そこで気になったのが、「徳島駅」「阿南駅」の中間あたりにある「中田駅」(ちゅうでんえき)。
この駅からはかつて「小松島線」(こまつしません)が分岐していて、その廃線跡が残っています。
その様子は車窓からもよく見えて、下り方向に乗るとしばらく並走してから離れる様子がわかります。

地図を見ると、その終点近くに「小松島ステーションパーク」がありました。
さらに「狸広場」やら「金長たぬき像」の文字が。
「金長」といえば、「徳島」のお土産にその名を冠しているものをよく見かけます。
そういえばその由来が何なのか?気になったので、行ってみることにしました。
結構な雨でしたけどね(^^;

南側の「阿南駅」からは「中田駅」1つ手前の「南小松島駅」からのほうが少し近そう。
駅から北に向かい、川を渡ってほどなくその像はありました。
この写真からは大きさがわかりづらいですが、かなり巨大な像!
これはインパクトがあります。
なんでも「たぬき」を模した銅像では世界一の大きさなんだとか(^^;

さらにその周りを固めているのは「阿波石」でしょうか。
広場には「金長」の仲間たちを紹介する小さな像も並んでいて、なかなか面白かったですね。
晴れていたらもう少しじっくり見たかったところですが。

「金長たぬき像の由来(小松島町・たぬき広場)
 江戸時代の天保年間、日開野に金長というたぬきが住んでいた。ある時、村の子供達が枯葉を燃やし、
 穴の中の金長をいぶり出そうとしていたところ、日開野の染物屋「大和屋」の主人、茂右衛門が通りかかり、
 哀れに思って命を助けた。金長は、恩に報いるため「大和屋」に移り住んで、守り神になり、店は大いに繁盛した。
 金長はその後、四国狸総大将津田浦の六右衛門の許に修行に出て、化学(ばけがく)に勤しんだ。六右衛門は、
 頭角をあらわした金長の才覚に目を付け娘の小芝姫の婿にと望んだが、金長は「大和屋」への恩義から
 六右衛門の申し出を辞退した。六右衛門の家来、作右衛門ら四天王はこれを主君への逆心と思い込み金長とその家来を襲った。
 かろうじてひとり日開野へ逃れた金長。津田山の高坊主の仲裁も叶わず、両軍兵を挙げた。この戦いは、阿波の狸界を二分する
 激しさとなった。世にいう「阿波狸合戦」である。両軍激闘の末、ついに六右衛門は討死。金長も深手を負い、
 せめてご主人の茂右衛門に別れを告げようと、やっとの思いで「大和屋」に帰ってきた。金長は茂右衛門に優しくしてもらった
 礼を言い、静かに息を引き取った。彼の生き様に感激した茂右衛門は、正一位金長大明神として長くたたえたという。
 (金長たぬきの民話)   素材・青銅製」

※説明板より引用



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by sampo_katze | 2021-09-19 21:00 | 四国


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