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眉山への道と阿波おどり会館
徳島出張2020のオフタイム編・第4回


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「四国最大の駅ビルがそびえる」


「徳島駅」近くにある「森珈琲店」で朝食を、おいしいコーヒーとともにいただきました。
本格的な「喫茶店」でゆっくり朝食を、なんてことはなかなかできないので。
今回は貴重な体験ができました。
これをきっかけに、このあとも何度かそのような時間をつくるようになりましたね。
もっとも出張や遠征のときに限られますけど(^^;

さて、「徳島空港」へ向かうにはまだ時間があります。
そこで駅から歩いて10分ほどのところにある「眉山」(びざん)の麓に行ってみることに。
「眉山」は市内にそびえるシンボル的存在で、標高は290m。
どの方向から見ても眉のように見えることからその名がついたんだとか。
麓から「山頂口」までは「ロープウェイ」が出ているので、アクセスは簡単。
以前も訪ねたことがありましたが、そこからの眺めはなかなかでした。
今回も天気がいいので、ちょっと期待していいかな?と。


表紙の写真は、駅前のペデストリアンデッキから眺めた「徳島駅」の様子です。
出口は南側だけで、商業施設の「クレメントプラザ」「JRホテルクレメント徳島」を併設した駅ビルがあります。
地上18階、地下2階で、これは「四国」の駅ビルの中では最大規模なんだそう。
そういえばほかの3県の主要駅を思い浮かべても、これほど大きな建物ではなかったような?
土地柄なのか、駅周辺ももっともにぎわっているように感じますね。










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駅前からのびる道を300mほど進むと、「新町川」(しんまちがわ)を渡ります。
「吉野川」河口から5kmほどのところから分岐し、「徳島駅」の南側を通って「紀伊水道」へと流れ込みます。
橋の名前は「新町橋」で、南北2本に分かれています。
こちらは北側で、橋の中央付近は半円状に広がった場所があります。
そこには少し奇妙な形をした「阿波踊り」の絵が描かれていました。
さらに端には鏡のような柱も立っています。


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その鏡のような柱をのぞいてみると、床に描かれていた絵が映り込んでいました。
これは「アナモルフォーシス」と呼ばれるもので、先の歪んだ形の絵を円筒に映し出すことで
正常な形の絵を見ることができるものとのこと。
ほかに斜めに長く引き伸ばしておいて、それを斜め方向から眺めるというのもあるんだそう。
「Google Map」の航空写真を見ると、この反対側の通りには後者のパターンで絵が描かれているようです。
こういうのがシレっとおかれているのはおもしろいですね。


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橋の南寄りにも同じものがあり、こちらは「男踊り」が描かれていました。


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「新町橋」からさらに400mほど進むと、「眉山」のふもとに着きます。
その手前に立つのは「阿波おどり会館」で、「眉山ロープウェイ乗り場」も兼ねています。
1階には徳島県物産観光交流プラザ あるでよ徳島もあり、「徳島」のお土産が豊富にそろっていますよ。


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建物に入るとさっそく「徳島県」のマスコットキャラ「すだちくん」がお出迎え。
しっかり「阿波おどり」スタイルです。
頭に巻いたハチマキがキマってますね!


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「眉山」に登る前に3階にある「阿波おどりミュージアム」を見学。
「阿波おどり」の概要と歴史を紹介するミニ博物館になっています。
入口には衣装と各「連」(踊り手の団体)のうちわが展示されていました。
青い色はやはり特産の「藍」を使ったものでしょうか。

「阿波おどりの起源
 阿波おどりの起源をめぐっては、諸説があります。
 阿波おどりは、最初から徳島城下固有の盆踊りとしてあったのではなく、
 畿内(きない)などで踊られていた風流踊りなどのさまざまな踊りが城下の踊りとして取り入れられ、
 城下の発展につれて町衆に支えられ、町衆とともに変化しながら現在の阿波おどりに発展していきました。」

※説明板より引用、以下同じ


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昔日の「阿波おどり」の様子を「和紙人形」で再現したもの。
先に書いた通り起源ははっきりしないようです。
ここでは「江戸時代」「大正時代」(後述)の2つについて紹介していました。

「踊りの変遷
 阿波おどりの変遷として、踊りの形態を大きく二つに分けて、
 江戸時代の「組踊り」と大正時代の「ぞめき」を和紙人形で展示しています。
    和紙人形制作協力 やまと鳳徳島市支部」


「組踊り
 文化10年(1813)、幕府が各藩に命じて庶民の生活の実態を調査した「諸国風俗問状」(しょこくふうぞくといじょう)に
 徳島藩が回答した「問状答」(といじょうこたえ)の中の「錦絵踊り」の記録を基に、当時の組踊りを再現したものです。
 「錦絵踊り」には、つぎのように記載されています。
 ・印しの行灯は、横三尺ほど五尺計(ばかり)、表に朱にて「錦絵いろいろ大安売」、
  裏には「江戸神明前踊屋盆兵衛」(えどしんめいまえおどりやぼんべえ)と書かれている。
 ・高さ一間、一間四方の家台を能舞台のようにつくる。
 ・踊裁判は二人ばかり、緋の板〆(いたじめ)などの襦袢(じゅばん)、胴貫(どうぬき)、派手なる胸当をして、
  おのおの朱にて「にしきゑ」と書きたる馬提灯を持ち、見物人を静め、おどりを配置する。
 ・囃子方は、三味線三梃(さんちょう)に、胡弓(こきゅう)、笛、太鼓、音頭諷(おんどよみ)三、四人。
 ・踊子は五十人ばかり、衣装花やかに着飾り、傾城(けいせい)、禿(かむろ)あるいは矢ノ根五郎、朝比奈等の
  錦絵の役者や角力(すもう)取りの顔似せ、最初太郎冠者(たろうかじゃ)が裃(かみしも)をつけて口上をいい、
  次に音頭だしが「花の錦絵いりいろ衣、春と秋とを一眼(ひとめ)にみはるよし野高尾の風流競(くらべ)・・・」とうたうと、
  踊り子もかけ声をかけながら踊る。」



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こちらは「大正時代」のもの。
「ぞめき」=「騒き」とは、「阿波おどり会館」公式サイトの説明によれば(以下2行を引用)
「阿波おどり特有の鳴り物の音や二拍子のリズムの総称として用いられる。
 元の意味は「うかれて騒ぐこと、(遊郭などを)ひやかして回ること」。」

だそうです。

「ぞめき
 先頭を切って新町橋に踊り込むのは常盤笠(ときわがさ)をかぶった子供たち、
 その後に大うちわで扇がれている大店(おおだな)のお嬢さんが続き、
 最後に芸者衆が踊っている様子を再現しています。」



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人形による現代の「阿波おどり」の再現。
館内はにぎやかな踊りの音が流れているので、
これに並んでみればおどりに参加した気分になれるかも?


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「ミュージアム」を出て「眉山」へと上るべく、5階の「眉山ロープウェイ」乗り場へ。
乗り場付近に描かれていたのは「ゴンドラ」を模したマスコットかな?
ここのは、小型の「ゴンドラ」が2つつながったちょっとめずらしいタイプなんですね。


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「山麓駅」から「ロープウェイ」に乗って約6分で「山頂駅」に到着。
乗り場の上に回ると、市街や「吉野川」を眺めることができます。
季節柄か少々モヤっていましたが、「春霞」と思えばこれもまた風流?


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山頂には大きな「パゴダ」(仏塔)が建っています。
高さ25mもあり、国内では最大級のものだそう。
ふもとからもその姿を見ることができますからね。

「平和記念塔 パゴダのご案内
 このパゴダ(仏塔)は、かつてビルマ戦線で散華した戦友をしのび、恒久の平和を願うシンボルとして、
 徳島県ビルマ会により、昭和三十三年に建立されました。
 高さ二十五米(25m)、円錐形ドームのビルマ独特の様式で、国内のパゴダの中では、最大級唯一のものです。
 塔内には、仏舎利(ぶっしゃり お釈迦様の遺骨)が祀られ、戦没者の英霊が奉安されています。
 この仏舎利は、当時のウ・ヌー ビルマ首相より贈られたものです。
 また、ミャンマーを始め、東南アジア各国の生活の紹介や戦争資料などを展示しています。
 このパゴダは、平成元年に徳島県ビルマ会より、徳島県仏教界に移管され、現在に至っています。
 このたび、パゴダ建立五十周年を記念し、大改修を行い、塔内外の景観を一新しました。
   平成二十一年三月  社団法人 徳島県仏教会 徳島県ビルマ会」



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山頂の一部区画では工事が行われていました。
そのパーティションに描かれていたのは「トクシィ」
「徳島市」のイメージアップキャラで、2011年生まれ。
「阿波踊りが得意な魚の妖精」とのこと。
ここではお茶を飲んで一休み、といった感じでした。


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最後にもう1度市街方面を眺めます。
中央奥は「吉野川」の河口、その向こうは「紀伊水道」です。
空気が澄んでいれば「淡路島」「紀伊半島」までが望めたのかなぁ。
でもこの日の視程はかなり短いようで、河口からすぐ先が白くもやってますね。
晴れていただけにちょっと惜しかったです。



すべて iPhone5S


次回は最終回、徳島空港で軽く一杯+羽田着新ルートです。

by sampo_katze | 2021-11-08 21:00 | 四国 | Comments(0)


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