8月限定!松本空港周遊2020編・第6回
![]() 「旧開智学校」の見学のあとは「松本城」へと向かいます。 どちらも「国宝」で、「松本城」の「天守」・「櫓」など5棟が1936年(昭和11年)に当時の「国宝保存法」に基づき指定。 のちの1952年(昭和27年)4月、「文化財保護法」に基づいて改めて指定されました。 対して「旧開智学校」は2019年(令和元年)11月に指定されたばかり。 ですが、近代の学校建築として初めての指定なんだそう。 その間の距離は直線で500m足らず、道のりでも約800mととても近いです。 もちろん十分歩いて行けるのですが、当日は35℃を超える猛暑の日! 歩いて10分足らずとはいえ、ちょっとキビシイですね(^^; 幸い市内周遊バス「タウンスニーカー」の1日乗車券を持っているので、それを利用することに。 城への最寄バス停は3つほどありますが、中間にある「松本城・市役所前」で下車。 「松本駅」からであれば、1つ手前の「丸の内」も便利ですね。 表紙の写真は、「松本市」のマスコットキャラクター「アルプちゃん」です。 バスを下りたすぐ目の前が「松本市役所」で、その入り口近くにいました。 「市制100周年」を記念して、その前年の2006年(平成18年)に登場。 名前の由来はもちろん「(北)アルプス」ですが、その語源は英語で「(標高の)高い山」を意味する「alp」(アルプ)なんだそう。 複数形なので「alps」(アルプス)になるんですね~、知らなかった(汗) そして、その記念事業が終わる2008年3月には故郷の「北アルプス」に戻るはずが あまりの人気ぶりにそのまま市のマスコットとして活躍することになったとのこと。 右手になにやら楽器を持っています。 このときは「ギター」と思ったんですが、あとで調べてみたら「バイオリン」でした。 確かによく見れば・・・・・ですけどね(^^; ![]() 現在は「本丸」、「二の丸」、「内堀」と、「外堀」および「総堀」の一部が残っています。 「外堀」の南・西側と「総堀」の大部分は埋め立てられました。 「史跡 松本城の概要 <昭和5年(1930年)11月19日指定 推定面積約93,000平方メートル> 松本城は北東から南西に緩やかに傾斜した扇状地上にある平城です。戦国時代の初めに守護大名小笠原氏の支城として この地に深志城(ふかしじょう)が築かれ、1550年に甲斐(山梨県)の武田氏が小笠原氏を追放し、 深志城を信濃支配の拠点としました。武田氏滅亡後、小笠原氏が深志城を取り戻し、名を松本城と改め、 城郭と城下町の整備を進めました。小笠原氏が関東へ移った後の城主石川数正・康長父子により、 天守の建築(1593年~1594年)などの整備が行われ、近世城郭としての松本城の姿が整えられました。 松本城の範囲は、総堀に囲まれた内側を指し、総面積は約39万平方メートルあり、 その約3分の1を三重の水堀が占めています。総堀の内側に三の丸、二の丸、本丸が配置され、三の丸は家臣の屋敷地、 外堀で囲まれた二の丸は二の丸御殿、古山地御殿、蔵などが置かれ、内堀と外堀に囲まれた本丸には天守と 本丸御殿(1727年焼失)がありました。天守は、明治維新の際に市民の尽力により取り壊しの危機から救われて現存し、 国宝に指定されています。本丸、二の丸、内堀、外堀・総堀・西総堀土塁の一部は史跡に指定され、 天守と一体となって城郭の姿を今に伝えています。」 ※説明板より引用、以下同じ ![]() ここは外から「二の丸」へと通じる正門の役目を果たしています。 外側に小さな「二の門」(高麗門 こうらいもん)、内側に大きな「一の門」(櫓門 やぐらもん)、 その間は塀に囲まれた「桝形」(ますがた)と呼ばれる空間になっています。 「二の門」に通じる橋は先が細くなっていて、その形状から「鵜首」(うのくび)と呼ばれます。 入るときは気づかなかったのですが(^^; 現在もその形状は残されているようです。 「太鼓門枡形 太鼓門枡形は、奥の大きな一の門、手前の小さな二の門、一の門と二の門の間の枡形から構成されています。 太鼓門は三の丸から二の丸へ入る正門で、一の門正面の石垣には「玄蕃石」(げんばいし)とよばれる大きな石が 据えられています。門は朝6時に開けられ、夕方6時に閉められました。太鼓門北側門台上に、藩士召集の合図や 時を知らせるための鐘と太鼓を備えた「太鼓楼」(たいころう)があったことから太鼓門とよばれました。 太鼓門は、江戸時代初めには完成していたと考えられています。明治4年(1871)に取り壊され、 現在の門は平成11年(1999)に復元されたものです。 一の門・二の門・周囲の塀に囲まれた枡形は、攻め入った敵兵の動きを封じ、周囲から攻撃するためのものです。 また、堀を渡る土橋は、門側の幅が狭くなる「鵜の首」(うのくび)とよばれる形をしており、敵兵の進攻を 遅らせるためのものといわれています。太鼓門枡形のこうした特徴から、正門として、また戦いに備える門としての 姿をうかがうことができます。」 ![]() 逆光になるのでこんな中途半端な構図になってしまいましたが。 別名「櫓門」と呼ばれるように、上層は「櫓」の役目も果たしています。 「太鼓門桝形の由来 城の入り口を固く守るためには様々な工夫がなされた。その典型的なものが枡形門で、石垣・土塀を四角に囲って、 内と外に門を二重に構えたものである。松本城には、大手門・太鼓門・黒門の三つの枡形門があった。 太鼓門は、天守築造後の文禄4年(1595)頃に石川康長によって築造され、それから270余年後の明治4年(1871)11月、 旧物破壊の風潮の中で取り壊されたままになっていた。第2次世界大戦後になって文化財保護の思想が高まり、 松本城国宝保存工事、黒門の復興などを経て、平成11年(1999)3月、128年ぶりに太鼓門枡形が復元された。 この門の名称の由来となった太鼓楼は門台北石垣上に置かれ、太鼓や鐘がおかれて様々な合図が発信され、 また櫓門の脇には、築造者の官名に因む、重量22.5トンの巨石、「玄蕃石」を据え威風堂々とした枡形門を形造っていた。 一般に城の重要な門には、威厳をそえるため巨石を据えることが多かった。この玄蕃石も同様の意味を持つものである。 石川康長の頃には天守を中心として本丸・二の丸(内曲輪 うちくるわ)を「御本城」(ごほんじょう)として整備拡充し、 三の丸(外曲輪 そとくるわ)には武士を集住させるための武家屋敷を建設し、五ヵ所の城戸(きど 柵門)は いずれも櫓門に変えられた。」 ![]() 「玄蕃石」(げんばいし)と呼ばれるもので、重さ約22.5トンもあるんだそう! どこから、どうやって運んできたんでしょうかね?? ![]() 「内堀」沿いに出て少し進むと、右手の「黒門」に通じる橋があります。 「黒門」は「本丸」への入口にあたり、その先は有料エリアになっています。 今回は「黒門」には向かわず、そのまま西へと移動。 なぜ入らなかったのかは忘れましたが、入場制限でもかかってたかな? そして「天守」が見えてきます。 本来なら「天守」の左手奥に「北アルプス」の山々が見えるところ。 ですがこの日は雲が多くかかっていて、残念ながら見えませんでした。 ![]() 風もなく「内堀」の水面も穏やかでしたので、水鏡にも映る様子が見られました。 この「天守」は、こちらから見ると3つの建物がつながっています。 向かって左からもっとも大きな「大天守」、中央が「辰巳付櫓」(たつみつけやぐら)、 そして右の下層部が白いのが「月見櫓」(つきみやぐら)です。 さらに背面には「乾小天守」(いぬいこてんしゅ)、「大天守」とをつなぐ「渡櫓」(わたりやぐら)もあります。 これらのうち「月見櫓」と「辰巳付櫓」は「江戸時代」初期になって造られたもの。 この2棟は戦が起こる心配がなくなったことで造られた、泰平の時代の象徴とも言えそうです。 ![]() 我ながらいい感じにいけたかな、と。 ![]() ここからの眺めが一番バランスがいいかな、と思います。 ![]() ![]() これは「埋橋」(うずめばし)。 「大天守」や「乾小天守」をバックにして、とても美しい光景を見せてくれます。 ですがこの橋、実は1955年(昭和30年)に観光用として架けられたものだそう。 かつては渡ることができたようですが、2011年6月30日に「長野県中部地震」が発生。 それ以降は通行禁止となっているとのこと。 ちょっと残念ですね。 ![]() 表面に刻まれているのはマスコットキャラの「鬼丸」です。 このキャラの由来などは書かれていませんでした。 「国宝松本城400年まつり開催記念碑 平成5年(1993年)、松本城の天守築造から400年の節目を記念して、「国宝松本城400年まつり」が開催されました。 この碑は、いつまでも変わることのない松本城の姿を願うとともに、まつりの開催を記念して建立するものです。 開催の概要 ■名称 国宝松本城400年まつり ■テーマ 城のかがやき 人のときめき 夢のきらめき ■開催場所 国宝松本城・中央公園 ■会場規模 約11ha ■開催期間 平成5年7月17日(日)~9月26日(日) 72日間 ■入場者数 1,120,658人 ■主催 国宝松本城400年まつり実行委員会」 8、10枚目 iPhone5S ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR 次回は、松本市時計博物館を訪ねます。
by sampo_katze
| 2022-01-26 21:00
| 東海・中部
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