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桂浜と龍馬像
高知空港周遊2020編・第6回


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「曇り空なのが残念」


「高知駅」から「桂浜」への「バス」でのアクセスは2通りあります。
一方は「路線バス」で、もう一方は観光スポットをめぐる「My遊バス」
どちらも「とさでん交通」が運行しています。
所要時間は「路線バス」が38分、「My遊バス」は52分。
もし「桂浜」だけを往復するのであれば、時間もコスト?も「路線バス」一択でしょうか。

でも途中にある「五台山」(ごだいさん)や「牧野植物園」「龍馬記念館」などもめぐるのであれば
「My遊バス」が便利でおトクです。
乗車券を購入すれば、市内エリアの「路面電車」と「高知駅」~「桂浜」間の「路線バス」片道が無料。
観光施設の入場割引などの特典も受けられます。
さらに「桂浜」まで行くのであれば「1日券」「2日券」があるのがうれしい!
「1日券」が1000円に対し、「2日券」は1600円とさらにおトクですよ。
今回は2日目にそれほどまわらないと思ったので「1日券」にしてましたが(^^;


表紙の写真は、「桂浜」の入口からの眺めです。
砂浜が広がり、その奥の高台には「龍王宮(海津見神社)」があります。
天気がよければ青い海と白い砂浜の対比がきれいだっただろうな、と思うとちょっと残念。
ちなみにこの翌日は朝から雲1つない晴天になりました。
思わず再訪したくなったのは言うまでもありません(^^;










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砂浜に下りて「龍王宮」方面を眺めます。
宮のある場所は岩になっているのがわかります。
手前にも結構大きな岩がありますね。


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まわりこんでみるとこんな感じ。
真ん中に分割されたような線が入っているのが何とも不思議。


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別のところでは、まるで「恐竜」が横たわっているような岩が。
左側の砂浜側は石を積み上げたようになっているので、人工的に作ったものかもしれませんが。


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そして「坂本龍馬」の像。
1928年(昭和3年)に造られたものだそう。
詳しくは説明を読んでください(^^;

「坂本龍馬の横顔
  坂本龍馬は高知の城下町にすむ郷士の次男として生まれ(1835年)、青年時代江戸に出、千葉道場で北辰一刀流を学び
 剣士として知られているが、文久元年(1861年)、いちはやく武市半平太(瑞山)の土佐勤皇党に参加した。
  後、脱藩して勝海舟に師事して海軍建設を計画し、又長州(山口県)の桂小五郎(木戸孝允)、薩摩(鹿児島)の西郷隆盛を説いて
 慶応2年(1866年)薩長両藩の同盟協約を成功させ長州に押し寄せた幕府軍(徳川方)を撃破した。これを機会に討幕運動が高まったが、
 龍馬はこの薩長同盟の勢力に土佐藩を加え、これを背景とする王政復古を考え、土佐藩の参政後藤象二郎を説き、
 立憲的な議会制度を基とする新政府の出現を期した。山内容堂(15代藩主)は後藤の提案を受け入れて
 慶応3年(1867年)10月3日将軍慶喜に大政奉還を建白した。
  将軍も時勢を察し、10月14日に政権返上を朝廷に上奏した。龍馬はこれを喜び新政府創立に奔走したが、
 11月15日京都河原町大宮で幕府方の刺客に襲われ、同氏中岡慎太郎とともに凶刃に倒れた。龍馬は海援隊長。
 慎太郎は陸援隊長として土佐藩の遊軍をつくり、その活躍が期待されたが、幕府の新旧勢力対立の犠牲となった。
 時に竜馬は33歳、慎太郎は30歳であった。」

「坂本龍馬先生銅像建設由来記
  海の男としてたくましく生きた坂本龍馬先生の永遠の姿を我々はこの銅像に見る。海援隊を創設し、薩長同盟を成立させて
 土佐藩を討幕派陣営に誘い、将軍の政権奉還による王政復古を見るまで33年の生涯は凶刃のために血潮に染められたが、
 先生の起案した船中八策は新日本建設の柱として残された。その立憲会議制の提唱は明治の自由民権運動として展開され、
 日本近代化への道を大きく開いたのである。先生の夢は後代の青年の魂をゆさぶり続け、大正の末年青年たちの提唱によって、
 銅像建設のことも立案推進された。この桂浜の巌頭に立てられた先生銅像の除幕式は昭和3年5月27日を期して挙行された。
 建設資金は当時の青年たちの零細な拠出によって造成されたが、この計画は先生の往時の同志、田中光顕の賛助を受け
 当時25歳の青年秩父宮から寄付金が下賜されたのである。このことが一層県下青年を感奮させたと伝えられる。
 総工費2万5千円、像身5.3メートル、台座8メートル、製作者は郷土出身の本山白雲である。除幕式の当時は軍艦「浜風」が
 銅像の下に投錨参列して祝意を表した。青年の力によって建設されたこの銅像は青年のシンボルとして雨の日も風の日も
 力強く若者たちの魂に話しかけるであろう。
  建設以来55年を経、損傷の著しい銅像台座の修復工事を行うべく立ち上がった現代の高知県青年は昭和58年3月20日、
 桂浜で盛大に竣工式を祝った。修復資金は一口100円の寄付を街頭募金を通じて県内外の龍馬ファンから募り、目標額を上まわる
 573万4195円の寄付金を集めた。明治の青年たちが建設した、その意志を受けついで昭和の青年たちの手で修復し
 よみがえった坂本龍馬先生の銅像。「いつまでも伝えたい、龍馬の心を生き方を」の合言葉とともに次代の青年たちに
 この意志が受けつがれんことを期待する。
  さらに、建立以来桂浜で風雨に耐えること70年。古希を迎えたのを機に「日本も龍馬も倒しとうない」と、有志たちが
 龍馬像修復実行委員会を結成。建立時と同様、龍馬を愛する人々から大きな浄財を得た。(総額5,941万4590円)。
 そして平成11年3月28日、修復・強化された龍馬像は再び太平洋を望んだ。
 「ありがとう。つぎは日本の洗濯ぜよ。」と、その姿は語っているかのようである。終」


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「龍馬像」に向かって右側にそびえていた?のがこちら。
その名も「龍馬に大接近」
仮設の階段を上がっていくことで、「龍馬像」のすぐ横まで上がることができるようです。


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こちらがそのチケット。
この年(2020年)は9月19日(土)から11月15日(日)までの約2か月間開催されていました。
ただし、雨天や強風のときは中止になることがあるとのこと。
この日は雲が出ていたものの、風もなかったのでよかった。


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内部は工事用の足場が組まれた感じになっていました。
雨天のときは足元が滑りやすいし、強風のときは言わずもがな。
中止になるのはやむをえませんね。


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そして階段!
急角度+ステップがやや狭いので上がるのにちょっと苦労します(^^;
でもこんな機会はなかなかないですから、頑張って登頂を目指すことに。


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上りきると、「龍馬像」と同じ目線まで上がることができました。
像の高さ5.3m+台座高さ8.0mなので、地上約13mほどの高さになるでしょうか。
目線の高さは水平線より高くなっています。


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「龍馬」の目線はどちらに向いている?
地図で確認すると東のほうを向いていました。
直近ですと対岸の「安芸市」あたりになりますが、その視線はさらにその先。
「太平洋」を越えて「アメリカ」を向いているのかな?
渡米を考えていたのかはわかりませんが。


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そして、この高さからならではの足元確認。
「龍馬像」が履いているのは「革靴」です。
下からでもチラッとは見えますが、



7枚目 iPhone5S
ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は、桂浜水族館を訪ねます。

by sampo_katze | 2022-02-11 21:00 | 四国 | Comments(0)


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