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高知城を訪ねる
高知空港周遊2020編・第11回


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「追手門と天守のツーショット」


昼ごはんはご当地名物の「鍋焼きラーメン」をいただきました。
おじゃましたのは「高知駅」北口から歩いて3分のところにある「千秋」というお店。
発祥の地の「須崎」(すさき)に本店があり、こちらにあるのは2店目。
「日本一熱い」とも称されるだけあって、土鍋の中でグツグツと煮立っていてほんとに熱かった(^^;
この熱さもまたおいしさ要素の1つで、ご飯とともにおいしくいただきました。

おなかを満たしたら次の目的地、「高知城」を目指します。
昼ごはんの前に行ってもよかったんですが、そうすると遅くなってしまうので。
ちょっとした高台にあるので上がったはいいものの、下りるまで時間がかかりますからね(^^;


表紙の写真は、「高知城」の表門にあたる「追手門」(おうてもん)前からの眺めです。
門の横から見ると、頂上にある「天守」もいっしょに見ることができます。
こういうのはめずらしいそうですね。

「高知城
 高知市の中心にそびえる大高坂山(おおたかさかやま 標高44.4m)にあって、天守閣からは市街地のほぼ全容が
 眺められます。現在は県立高知公園となっています。
 高知城は、関ヶ原の戦いの功で遠州掛川6万石から土佐24万石に封じられた山内一豊が、慶長6年(1601)から
 築いた城です。人夫は毎日1,200人から1,300人を動員し、資材は近隣から集め、瓦は大阪から取り寄せ、
 一豊は一日おきに浦戸から工事の督励のために現場におもむきました。慶長8年(1603)には本丸と詰門・
 太鼓櫓が完成し、一豊は同年8月に入城しました。
 享保12年(1727)には大火にあい、追手門のほか数棟を残して焼失しましたが、2年後に再建に着手し、
 24年かけて復旧しました。これが現在の高知城です。天守閣と追手門がそろって残っていることや、
 全国で唯一本丸内の建造物がほぼ完全な形で残っていることなどから、城郭史上極めて貴重な遺構です。
 これらを含めて15の建造物が国の重要文化財の指定を受けている他、敷地は高知城跡して国の史跡に
 指定されています。
 追手門から東にのびる追手筋には毎週日曜日に日曜市が開催されます。この街路市は元禄3年(1690)から続く
 長い歴史を持っています。市の開設場所は何度かの変遷があり、追手筋で開かれるようになったのは
 昭和23年のことです。ここでは農産物を中心に海産物や日用品など600軒余のお店が1km以上にわたって
 並んでいます。」

※説明板より引用、以下同じ










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「追手門」を入って少し進むと、高い石垣があらわれます。
こちらは「三ノ丸石垣」で、高さは13mもあるとのこと。
「野面積み」(のづらづみ)の荒々しさが迫力を増しているように感じます。
最近では2004年から2009年にかけて改修工事がなされました。

「三ノ丸石垣
 三ノ丸は、慶長6年(1601)の築城開始から10年を要して最後に完成した。面積は4,641㎡、出隅部分の
 石垣の高さは約13m。石垣に使用されている石材は主にチャートであるが、砂岩、石灰岩も一部使用されており、
 穴太衆(あのうしゅう)が、安土城の石垣で始めたとされる自然石の形を活かした野面積みで多くの面が
 構築されている。また、三ノ丸には、1,815㎡の壮大な御殿が建築されていた。三ノ丸の入り口にあたる
 鉄門(くろがねもん?)付近の石垣は、鉄門の改築に伴い積み直されたものと見られ、砂岩で構成された
 打ち込みハギで築かれている。今回の解体修理に伴う発掘調査でチャートの根石(基礎石)が確認され、
 改めてその事実が確認された。三ノ丸の石垣は、慶安3年(1650)、宝永4年(1707)に地震や豪雨により崩壊し、
 修理した記録が見られる。今回の修理は、平成11年に実施した調査により、割れたり、孕んだ石が多く、
 崩落の危険性が確認されたことから、平成12年度から事前の発掘調査や測量などを実施した後、
 鉄門付近から東面の花壇前まで実施した。工事は、改修前の石垣の状態を把握した後、割れた石以外は
 元の石を使用し、元の場所に戻すことなど原状復旧を基本として実施した。
 改修工事は、穴太衆の野面積みの技法を現代に伝える石工が携わって平成16年度から平成21年度にかけて実施、
 総工費約4億円を要した。」



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「天守」を下から見上げます。
距離は近いですが、高低差がかなりありますね。
ここからのアクセスがなかなか大変(^^;


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「三ノ丸」に上がると展望が開けます。
城内でもっとも広い平面になっていて、「大書院」という広大な建物もあったとのこと。
城が公園に変換されるときに取り壊されてしまったのはちょっと残念ですね。

「三ノ丸
 高知城で一番広い平面で、外周504メートル、南北85メートル、東西54メートル、総面積は4,641平方メートルある。
 住事は、曲折の多い石垣の上には沢山の銃眼(狭間 さま)を設けた矢狭間塀(やざまべい)がめぐらされ、
 東北角には丑寅櫓(うしとらやぐら)があった。
 また、大書院と呼ばれる広大な建物が建設され、総面積は1,815平方メートルもあった。この建物は、主として
 年頭の礼式や五月節句その他の儀式などで大勢の藩士が参集するとき使われたという。この大書院は明治維新の
 のち高知藩の執政府となり、次いで藩知事府から藩庁と改称された。明治3年(1870)藩庁は城西の
 致道館(ちどうかん)跡に移転した。明治6年、公園化に伴いすべての建物が取り壊された。
 現在は、入り口に当たる部分に門柱の建てられていた礎石だけが残されている。
 公園整備により多数の桜の木が植樹され、高知の桜の開花を告げる「ソメイヨシノ」の標本木があり、
 花見の場所として多くの市民に親しまれている。」



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「二ノ丸」に上がると、「高知名物アイスクリン」を売る屋台がありました。
せっかくなので1つ買ってみます。
味は5種類あり、組み合わせで3色や6色にすることもできるよう。


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シンプルな「バニラ(ゆず風味)」で。
さっぱりした甘さ、シャーベットのような触感が心地いいです。


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いよいよ「本丸」へ。
ややこじんまりとした「天守」が目前です。


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「天守」の最上層に上がります。
周囲には「廻縁高欄」があり、眺望を楽しむことができます。
当時の手すりはだいぶ低くてちょっとコワいですが、鉄製の手すりが追加されています。


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北側からは「三ノ丸」を眼下に望めます。


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そこから少し左に向くと「二ノ丸」と「アイスクリン」屋台が。
左手前は「天守」からつながる「詰門」「廊下門」などです。


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帰りは「詰門」とは反対側にある「黒鉄門」から出ます。
こちらを通ると「天守」の裏側?に回れます。
そこで上を向くと端にアンテナのようなものがついているのがわかります。


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さらに進むと、横一線に並んでいました。
なんという名前だったかは忘れましたが(^^;
ボランティアガイド?の方によると、こういうのが残っているのはめずらしいそうです。



6枚目 iPhone5S
ほかはすべて D700+24-120mmF4G/VR


次回は最終回、高知空港に向かいます。

by sampo_katze | 2022-02-21 21:00 | 四国 | Comments(0)


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