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米沢駅のモダンな駅舎
1コマ写真@米沢出張・その4


米沢駅のモダンな駅舎_c0081462_18052866.jpg
「旧米沢高等工業学校本館がモチーフ」


「米沢駅」は、仕事の都合でこれまで結構な回数で利用したことがあります。
アクセスは当然「山形新幹線」で、「米坂線」(よねさかせん)利用は今回を含めて2回だけ。
初回は帰りにあえて遠回りのルートを利用しました。
そして今回はやむにやまれず。
「大宮駅」から約3倍の時間がかかりますからね(^^;

これまでは駅舎とは反対の東口側ばかりだったため、駅舎のある西口に出るのは今回が実は初めて。
そして、こんな立派な駅舎だったとは知りませんでした。
現駅舎は何代目かはわかりませんが、「山形新幹線」開業からちょうど1年後の1993年(平成5年)7月1日に完成。
市内の「山形大学工学部」にある「旧米沢高等工業学校本館」がモチーフになっているんだそう。
きれいな青空が広がってくれていい景色が撮れました。

「米沢駅の駅名由来
 米沢という地名は、アイヌ語で"湯の川"という意味の「ユナイ」が転訛したものといわれています。
 他にも、米のとぎ汁のような白い水が出る「米井」、火山灰を意味する「よな」に由来するといった説のほか、
 「米を産する沢地」と解釈する人もいます。
 吾妻連峰(あづまれんぽう)、飯豊山(いいでさん)に抱かれ、清流・最上川が流れる米沢市は
 米沢の味A(APPLE/りんご)、B(BEEF/米沢牛)、C(CARP/鯉)を代表とする食の宝庫でもあり、また「米沢十湯」と
 総称される秘湯を含めた十ケ所の温泉が点在し、「いやし」や「やすらぎ」を求めて多くの観光客が訪れている。
 江戸時代には、名将・上杉謙信を藩祖とする米沢藩上杉家の城下町でした。上杉氏第十代・鷹山(ようざん)公は、
 困窮した藩財政を立て直した名君として知られ、内村鑑三の著書「代表的日本人」と新渡戸稲造の著書「武士道」で
 共に英文で紹介され、日本人としてアメリカで名を挙げました。彼の行なった改革は封建時代において類を見ない、
 現代の民主主義思想にも通じ、その指導力と経営力は現在でも各界で注目されています。鷹山公の
 「為せば成る為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という三十一文字は有名です。
 この地名の由来を受けて、明治32年(1899)5月15日、奥羽本線の福島~米沢間開通の時、米沢駅が開業しました。
  ◆参考資料◆
  ■「米沢浪漫」米沢観光協会発行
  ■「米沢市市勢要綱」米沢市発行」


「米沢駅舎の建設について
 本米沢駅舎の改築については、米沢市民をはじめ、産業界など米沢市一丸となった資金の拠出運動が
 展開されました。この結果、5億円を超える善意の篤志(とくし)が寄せられ、「市民の駅」として平成5年に
 完成したものです。
 世代を越え、後世に真摯な市民の真心を伝えるべく、本碑文を設置するものです。
    平成16年8月 米沢駅周辺整備事業推進同盟会」

※説明板より引用


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by sampo_katze | 2022-04-16 21:00 | 東北


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